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アポカリプス(オウム真理教)

August 14, 2017

 黙示録13-2「わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍(りゅう)は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた」

 ご覧のとおりですが当時「ああ言えば上祐」などと弁の立つことで知られた幹部、上祐史浩氏は福岡県三潴郡の出身でしたね。三潴の中に猪(しし)を表す文字が入っています。麻原彰晃こと松本智津夫氏は元代表でしたが出身は熊本県です。教団の足として働いていたのでしょう。wikiによると「教団の裏のトップ」と言われた早川紀代秀氏は兵庫県の出身です。

 決してオウム真理教が終末の獣というわけではなく聖書はメタファーなので獣のメタファーとして使われたのでしょう。

聖書をメタファーとして使う

July 26, 2017

 前回の続き。聖書に書いてあることをメタファーとして現代社会で利用すると、創世記9章にある「産めよ、増えよ、地に満ちよ」、「あなたたちは産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ」とは子孫繁栄を指すだけではないことがわかると思います。自分の作品なり、アイディアなり、主張なり、何かが広がっていく、拡大するように、という意味あいになるかと思います。主なる神がこう言われたのです。

 つまり私たちの心が自分の作品やアイディアや主張が生まれ広がっていくよう望んでいるのです。

一度あった歴史はすべてメタファー

July 25, 2017

 聖書は一人の人間の中で行われる精霊の働きをも示しています。アダムもイヴもいただろうし、モーセもエリヤも存在したでしょう。もちろんキリストの存在もあったことに間違いないと思います。

 しかし、一度あった歴史はすべてメタファーになります。

 アダムとイブは一人の人間のなかにある男性性と女性性をあらわし、キリストは一人の人間の心にある福音をあらわします。その他の登場人物も今やなにがしかの象徴となり得ます。登場人物だけではなく聖書に出てくる町や事象も象徴になります。

雹が降りました

July 22, 2017

 7月18日に雹が降りました。3センチほどもあったようです。今まで見たことない大きさです。そして私が暮らしている町を直撃です。私自身は当時別の町にいたので無事でしたが帰ってきて驚きました。まず駅の屋根が壊れており、駅前は葉っぱが散乱していました。雹に打たれたようです。家に帰ると網戸が破けていました。ベランダにかけてあったハンガーは何本か消えお湯は出なくなって大変でした。

 ここでふと頭をよぎったのは旧約の出エジプト記におけるエジプトを打ったエピソードと新約の黙示録です。ここ何日か考えていましたがこれが​何かの前兆なのか、わからないままです。

士師記より

July 17, 2017

 旧約におけるイスラエルと主の関係はそのまま人間に当てはめられるということです。我々の体の中には様々の聖霊が住んでおり自分の考えというのはそれらの総合、ないしは代表であり自分というものはいわば合衆国のようなものであるということです。

 我々の代表は主にマインド(脳)であるケースが多いです。脳内でいいか悪いか、可か不可かジャッジしています。自分の心こそ主なる王なのですが。

 マインドに頼り切って王(心)不在の状況が続くとどうなるか、これが士師記です。

​ 「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。」(士師21.25)

チャネリングなのか

July 16, 2017

 こうして聖書について色々書いていますが私はクリスチャンではありませんでした。12月25日にケーキを食べることがあっても人が死ねばお寺にお世話になり、正月には神社で参拝し宗教観はめちゃくちゃです。

 しかし高次の意識体に教えられ今まで考えた事すらなかった知恵を授かりました。私が全てを発見したわけではなく、あくまで文字どおりの「入れ知恵」です。地球という器に入っていると実感が薄れますが宇宙は広く目に見えるものが全てでは​ありませんね。

福音は夢

July 16, 2017

 福音とはズバリ夢、心の純粋な計画でしょう。キリストとは福音の擬人化であり夢の象徴でしょうね。新約全体がキリスト中心に書かれているのですがまさに新約こそがダイレクトに夢の実現方法を述べた書物と言えるでしょう。

 本当に好きで歌手になった人と、本当は映画監督になりたくて歌手をやっている人とでは次元が異なってきます。前者は神の国にいますが後者は神の国にまだ入っていません。

 神の国は福音(キリスト)を信じた者だけが​入ることのできる心の楽園です。

 

蛙は一匹

July 14, 2017

 日本一有名な俳句じゃないかと思います。「古池や蛙飛び込む水の音」松尾芭蕉さんの作品です。

 後世までずっと残るこの句を音だけ聞いてみると「古い契約はずっと引っ込む水の音」と聞こえてきました。水の音はポシャン、なんて表現されますね。物事が頓挫する様をポシャったなんて言いますが古い契約が履行されないさまを暗に示しています。

 これ、日本語と聖書がわからないと解けませんね。旧約の神は唯一なのでここでの​蛙は一匹でしょう。

聖書は人生の攻略本でもある

July 11, 2017

 聖書は単なる歴史書や経典にとどまるものではないということでしょうか。図のとおりで旧約でも新約でも大筋は同じで地球上における人生の攻略方法を教えてくれています。まずは主である自分の心を知ることからクリスチャンの生活が始まります。自分の心が示す計画、これこそ福音、つまりよい知らせです。その後契機と苦難の道のりを経て約束の地にたどり着くのですが携挙や再臨などは​また別の機会に詳しく書きます。

 

主とは自分の心のこと

July 10, 2017

 神やらハイヤーセルフやらと呼ばれている存在は確かにあります。それとわれわれ人間は切り離されている。と言うより次元が違うのでこの肉体を有したまま同じ土俵に立つことはできないといったほうが正しいかもしれません。そこで神とされる存在とわれわれをつなぐ存在が「主」なのです。主観などという単語もあるように主とはわれわれの心のことでしょう。

 主が自分であることを指摘する意見をネットで見かけたことがあります。いいところついたな、と思いましたが自分の心と解釈したほうがより具体的かと思います。何せこの肉体は単に魂の入れ物に過ぎないのですから(聖書には「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。(略)あなたがたはその神殿なのです。」コリント3:16〜17)とあります。

 われわれのこの4次元仕様の体に宿るため神が心(主、精霊)として存在することになったのです。

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